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日常に潜む悪魔

千葉の、ベトナム人少女殺人事件、その町の小学校の保護者会の会長の犯行だった ! と言う事だそうですが、被疑者と目された人物が誤認逮捕で無い事を祈ります。

昔から今に至るも、警察の杜撰な捜査の為、強引な動機付けをされて逮捕されたり、酷い話では長年にわたる獄中暮らしの末、司法の誤認であった事が判った !  等と言う事が有るからです。 

そう言う事が無いと言う事を前提として、此の事件を見るに、人間とは何と言う恐ろしい物であるのか ! と言う事を衝撃と共に思い知らされます。 この人・被疑者の立場は、此の度の事件とは対極にあるべき「保護者会会長」と言う立場の人で、生徒・児童の安全を誰よりも気に掛け、行動する立場の人で、 子供たちからしんらいされ、慕われる側の人の筈です。

そう言う人が今回の事件の様な、真逆の凶行をするなど到底予想も出来ず、児童や一般市民は何を信じてよいのか不安と困惑に悩まされるばかりです。

と言うのは、我々高齢者の古臭い意識かも知れませんが、地域の色々な私的な組織や団体などの役員と言う、“準公職”とでも呼ぶ役職に就く人は、其れなりに人格も教養も備えた人と認めて、謂わば尊敬に値する人と思われるのですが、昨今の状況では、そういう認識は何の根拠も無い単なる期待幻想に過ぎないと思わざるを得ません。

其れにしても、昔から 「馬子にも衣装・髪形」とか「役職・立場が人を作る」とか言って来たのですが、

[議員などの政治家や天下り専売省である文科省などの各省庁の役人達は、全くの例外として]

それ以外の善良な一般市民の中では、その言葉が生きていました。 卑近な例として、当人にはチョッと失礼なのですが、今の「林家 正蔵」は、「こぶ平」から「正蔵」を襲名した後、年を経るに従って段々良くなって、「正蔵」へと近づいている感じがします。 進化しているのです。

然し、当節は其れが死語になって仕舞ったのかも知れない、とつくづく認識させられます。即ち、人間の意識は、幾ら「衣装・髪形」を替えても変わらないし、知性は幾ら「役職・立場」を変えても向上しない、と言う事です。

昔はこんな事など無かった ! など、絶対に申しませんが、人類の知的進化はもうストップしてしまったのでしょうか?人間心理の内に潜む邪悪な衝動は抑制が利かない物なのでしょうか?

謂われ無き凶悪な事件が起きる度、救い様の無い暗澹たる気持ちに襲われて仕方ありません。