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【そもそも人間学とは何か】 東洋学の大切さ・人生と茶

知古嶋芳琉です。

 ここでのお話も、

何度読んでも味わい深いお話であります。

 前回に続き、

私が師事した安岡正篤師の講義録の中から、

安岡先生が10回もの回数にわたって

連続講義をされた講義録、

『東洋思想十講』から、

思うがままに引用して、

さらにお話しを進めます。

−−−ここからは、その引用です−−−

○ 東洋学の大切さ

 そこで

東洋の学問は

非常に深いのですが、

何としても難解である。

 けれども

少しわかってくると、

妙味があって

止められないものであります。

 だから、

どうしても、

ある程度の人生体験を経ないと

なかなか入れません。

ある年齢に達し、

ある程度の体験を積み、

人の心を酌んでやる地位になる、

というふうになればなるほど、

妙味が出てまいります。

それでなければ

本当の造詣ということはできません。

 といって、

そういう年齢・地位にならなければ

わからぬかといえば、

決してそういうものではなく、

知識・見識として把握することはできなくとも、

吸収する、身につけることはできます。

 つい二、三十年前までは、

子供の頭は幼稚で

難しいことを教えるのは無理だと

いわれておりました。

 ところが

最近、

大脳医学の発達によって

それが

間違いであることが証明されたのであります。

人間の脳は

肉体の他の諸器官と異なり、

だいたい三歳くらいで

成人の80%くらい

できあがっているというのです。

 脳細胞の数は約150億といわれますが、

これは

他の細胞のように

新陳代謝することなく、

そのほとんどが

三歳くらいでできあがっているのです。

 つまり、

与えられれば

それを受け容れ、感得する能力が

三歳くらいで

ちゃんと

できておるわけです。

 知識的・思考的には未発達ですが、

吸収し、

受け容れることはできるのです。

しかも

受け容れるだけではなく、

むしろ

早く与えておかなければならぬ

ということもわかってまいりました。

例えば

こういう実験をやっております。

同程度の能力の子供を二組に分けて寝かせます。

一方の子供には

目を覚まさぬ程度に

教えようと思うことを

レコードに吹き込んで繰り返し聞かせ、

もう一方の子供には聞かせないでおく。

そうして、

目が覚めてから

両方を一緒にして、

同じ内容のことを教える。

すると

能力は同じ程度であるが、

睡眠中に聞かせておいた子供は

聞かさなかった子供に比べて

はるかに速く覚えるということであります。

したがって、

人間教育は、

わかってもわからなくても、

なるべく早く

幼児から始めることが大切なのです。

 アメリカに

人間能力開発協会というものがありまして、

そこのドーマンという専門家が

日本にまいりまして、

あちこちで講演されました。

私も

そのレポートをもらって

感心したのでありますが、

この人は

徹底した幼児教育論者であります。

人間は

幼児のときから

教育しておかなければいけない。

わかってもわからなくても、

そんなことは問題ではない。

 とにかく

教えておけば、

成長するに従って

必ず

その効果が上がる。

 子供は

幼稚で

まだ

能力が発達していないから、

難しいことは教えないで、

マンガくらい読ませておけばよい、

などと考えるのは

大きな間違いであると

力説しておりました。

不幸にして

日本では、

特に日教組などの諸君は、

ほとんどが

幼少期に

難しいことを教えるのは

間違いであると考えております。

 これは、

むしろ

罪悪であるといってよいと思います。

 したがって、

東洋の学問というものは

一面において

人生の経験を積み、

いろいろの地位・身分もでき、

歳を取ってくるほど

次第によくわかり、

また、

おもしろくなってまいりますが、

それと同時に、

なるべく早く

幼少のときから

習わしめることも

大切であります。

 前にも解説した

ことですが、

「習」という字は、

羽は「はね」、

下の白は

「しろ」

ではなくて、

鳥の胴体の象形文字であります。

つまり

雛鳥が

だんだん大きくなって

親鳥のマネをして

飛ぶ稽古をする、

というのが

習の字であります。

つまり

体験することです。

わかってもわからなくても、

正坐して読む、

その姿だけでもよいのです。

素読だけでもよいのです。

 要は

やらせることに

大きな意味があるのであり、

また

事実、

非常な効果があるということも

専門家によって

証明済みであります。

 その意味で、

少し話が脱線しますが、

私は

例の

三島由紀夫氏が

あのような非命に倒れたことを

心から惜しみます。

あの人は

大変頭も良く、

若くして

あれだけの仕事を

されたわけですが、

学問の上から申しますと、

初めは

西洋の文学や芸術から入って

四十歳になって

日本・中国の

いわゆる東洋の思想・学問に興味を持ち、

憧憬を抱くようになった人であります。

そして

陽明学などをやり始めて間もなく

あの事件になりました。

 これがもし

反対に、

子供のころから東洋の学問をやり、

長じて

西洋の学問・芸術に入っていったのならば、

恐らく

思想・行動も

大きく変わっただろうと思います。

それを思うと、

大変

残念であります。

 三島氏が尊敬し

崇拝した

吉田松陰とか

橋本左内というような人々の幸福というか、

特徴は、

幼少のころから

儒教仏教などの

東洋の学問を叩き込まれたことであります。

 そうして

幕末、

二十歳、

三十歳になって

初めて

西洋の問題にぶつかった。

 そのために、

我々

後人から言うならば、

あのような

非凡な見識・器量・風格・風韻というようなものを

発揮することができたのです。

それを

何も知らぬ人は、

『あの若さで、

よくもあれだけの人物ができ、

また仕事を成し遂げた』

と言うのでありますが、

しかし、

本当の学問をした者から言うと、

それは

当然だと言うことができます。

 誰でもというと

語弊がありますが、

さほど生まれも悪くなく、

ある程度の頭を持っておれば、

たとえ彼らには及ばずとも

似たり寄ったりのところまでいけると

断言してよいと思います。

そういう意味で、

最近

西洋のほうから

東洋の学問に

非常な興味を持つようになって参りましたのは、

本当に喜ばしいことであります。

 しかし、

人間と言うものは

おもしろいもので、

例えば

私が

東洋の学問の

勝れていることを

話したりしますと、

とかく

我田引水だの、

当たり前だのと言って、

真剣に聞きません。

ところが

同じことでも

それを

西洋人が言うと、

すぐ感心してしまう。

日本で有名な

トインビー教授、

これは

今度の

第二次世界大戦が生んだ碩学で、

『歴史の研究』

という

大著で有名です。

 第一次世界大戦の時には

オスワルド・シュペングラーという人がおりまして、

『沈みゆく黄昏の国(日本語訳では西洋の没落』

という本を書いて、

欧米はもちろん

世界を震撼させたのでありますが、

トインビーの歴史の研究を読みますと、

この

シュペングラーの

西洋の没落と

内容・実質において

ほとんど変わりがありません。

これは

文明の

栄枯盛衰の歴史を

突っ込んで研究していけば、

同じ結論に達するのは

当然でありますが、

ただ

トインビーの

最も苦しんだのは、

彼らの誇りとする

ヨーロッパ文明が

過去二十幾つかの文明と同じように

栄枯盛衰していくことであった。

 シュペングラーの言葉を借りて言うならば、

「今やヨーロッパ文明諸国は黄昏の国である。

やがて陽は沈む」。

 この結論は、何としても耐えられない。

 そこで

トインビー教授が

何とかして

活路を開きたいと

煩悶(はんもん)懊悩(おうのう)したときに

偶然、

彼に非常な霊感を与えたのが

易の陰陽相待理論、

つまり、

東洋的創造の哲学であったわけです。

 彼はこれによって大きな救いと暗示を得て、

シュペングラーが暮鐘(ぼしょう)をついた

ヨーロッパ文明に

一条の活路を与えたのであります。

しかし、

それは

決して

無条件に救われるのではない。

 東洋的人間の道を体験していくことによって初めて

活路が開けるというのであります。

 そこで彼は易を学び、

だんだん奥へ進んで、

最後には

日本の

「惟神(かんながら:神代のままに。神のおぼしめしの

ままに。神であるままに。神として)の道(みち)」

にまで入っていきました。

 そういう尊い東洋の学問が

中国、

特に日本において

血となり肉となって、

無意識の中に

庶民の間にまで

浸透しておるわけでありまして、

したがって、

日本の将来、

今後の国民教育というものを考えた場合、

再びこれを意識にのぼらせて、

これを根本に、

新しい創造・発展をさせなければいけない

と思うのであります。

○ 人生と茶 −淡と無

 つい先日のことですが、

私は

挨拶を頼まれて、

ある結婚式に出席しました。

そして、

宴会の後で

久しぶりに会った

知人の老夫婦と

しばらく

話をしました。

そのときに、

『ああいう若夫婦は羨ましい』

ということから、

その老友が

『我々夫婦のようになると、

もう

茶飲み友達のようなもので、

まことにはかないものです』

と言うのです。

そこで

私は

ごく親しい仲ですから

『それは違う。

あなたはとんでもないことを言う。

なるほど

あの若夫婦は

今は幸福でいっぱいだろうが、

これから先

どんな苦労があるかわからない。

そこへいくと、

我々茶飲み友達のような老夫婦は、

と言って

自慢するのなら話はわかるが、

あなたの言うのは全く逆だ』

と申しましたから、

『それはまた、どういうわけか』

と聞きますので、

私は

茶飲み友達という語の意義について

一通り説明いたしました。

 そもそも

茶というものは、

一面において

哲学であると同時に

これは

科学でありまして、

茶飲み友達という語は

深遠というか、

醍醐味というか、

まことに

意味の深い

味わいのある語であります。

 我々が

楽しんでいる

いわゆる

茶道、

薄茶だの濃茶だのというようなものは、

これは

後によって発達したもので、

それ以前の茶は

薬、薬茶でありました。

 さて、

その

茶を点(た)てる、

茶をだすというときに、

まず注意すべきことは

湯加減と

よい茶を選ぶということであります。

 湯加減をおろそかにすると、

せっかくの茶を殺してしまいます。

また、

茶は

なるべく

上質のものを使うことが大切です。

 ところが

本当の

よい茶というものは

なかなか手に入りません。

もう十数年も前のことですが、

私は静岡へ

茶畑を見に行ったことがあります。

そのときに聞いた話でありますが、

当時

静岡で

茶をつくっている家が

約三千軒ある中で、

本当のよい茶をとるのは

十軒くらいしかないということでありました。

 そして、

よい茶をとるには、

第一に塵埃(じんあい)がない所が絶対条件で、

それも

なるべく

川のほとりで、

太陽が昇るに従って

朝霧が晴れていくような土地がよい。

肥料も

化学的なものは

できるだけ使わない。

こういうことを言っておりましたが、

まあ、

栽培法はともかくとして、

できるだけ

よい茶を選んで、

それを

ほどよい湯加減で煎じるわけです。

 その

煎じるときに、

およそ

三つの段階があります。

 まず

第一煎で

茶の中に含まれている糖分

すなわち

甘味を出す。

 第二煎で

茶の中に含まれている

カフェインの苦味を味わう。

 そうして

最後の

第三煎で

茶の渋味を味わう。

つまり

甘味、苦味、渋味というふうに

味わい分けていくわけです。

 しかし、

甘味や苦味といっても、

普通の人が考えるような

別々のものでは

決してないのです。

そこで

昔から

茶人は

「苦味の中に甘味がある

甘味のある苦味でなければ

本当の苦味ではない」

と言ってきたのでありますが、

ごく最近、

この言葉が

化学的分析によって

真実であることが証明されました。

すなわち

茶の中に含まれている

あの苦味から、

思いもかけないような

強力な甘味

カテキンが抽出されたのです。

 本当の甘味は苦味の中にあり、

本当の苦味は甘味を持ったものであります。

 したがって、

よく「苦言を呈す」と言いますが、

その苦言の中に

実は

本当の甘さがなければなりません。

甘さがなければ

真の苦言・苦味ではないのであります。

そして

その苦味が極められると、

今度は

渋味というものになります。

これを人間で申しますと、

甘いという味は

どんな幼児でも

野蛮人でも好みます。

 けれども

苦味は

人間が

単純・幼稚では分かりません。

だから

苦言を喜ぶようになるのは

相当

人間が

発達してからでありまして、

これを嫌がるようでは

まだまだ

人間として

だめだということになります。

 そして

その

人間を

もっと突き詰めていくと、

今度は

渋くならないといけません。

人間は

いい年をして

いつまでも

甘いだけではだめでありまして、

苦味がわかり、

さらに

渋味が出てこないといけません。

 これが

本当の

茶道というものであります。

 しかし、

甘いとか、苦い、渋いと言っている間は、

まだまだ

本物ではないのでありまして、

これをもっと突き詰めると、

もう

甘い、苦い、渋いというようなものではなくなって、

無の味になります。

そういうことを

詳しく説いておるのが

もっぱら

老荘でありまして、

老荘では

この味の至れるものを

無味と申しております。

それでは

この

無の味を持った

現実に存在するものは何かというと、

言うまでもなく

水であります。

 これを「淡」と申します。

淡は

火にかけて

極める

という意味であります。

甘いとも苦いとも渋いとも

何とも言えない味が

無の味であり、

淡であります。

 論語

「君子の交わりは淡として水の如し」と

いうのは、

そういう

至れる交わりのことで、

それでこそ

初めて

この語の意味が

分かるのでありまして、

単なる

水臭い付き合い

というような意味ではないのであります。

 淡の字は

昔から

文人・画家などに喜ばれて、

淡淵とか淡窓というふうに

よく雅号にも使われております。

 そこで、

人間が

お互いに

人生の至れる味を

しみじみと話し合うというのが

茶話の本義であります。

夫婦が長い間一緒に苦労をして、

ようやく

人生の醍醐味、

世の中のことや

人間の至極の話を

しんみりと話し合えるわけであります。

 そこで

私は

老友夫婦に、

『これが茶飲み友達というものであるから、

はかないなどと情けないことを言わずに、

今の生活を

お互いに感謝し合わなければいかん』

と言ったのでありますが、

老友夫婦も

合点がいったとみえて、

『今日は若い人の婚礼に来て、

私ども

お陰で

結婚をし直しました』

と言って

大層喜んでくれました。

 こういうことが

東洋の学問の神髄なのです。

 その学問の神髄が

儒教老荘

あるいは

仏教神道を通じて、

専門家のように

自覚して

それらを深く探求しないけれども、

いつか

日本の民衆生活の中に

深く浸透して、

人生の神髄をとらえた

意義深い専門用語を、

国民は

日常生活の中に

よく使いこなしておるのであります。

これは

世界の諸国民・諸民族の中では

めったにみることのできない

日本人の特徴であります。

 その世界に

類のない

価値ある日本人の

精神生活、風俗・習慣、国語を

今日のように

滅茶苦茶に

荒らしてしまっているということは、

まことに

情けない限りであります。

 したがって、

列島改造よりも何よりも、

我々は

まず

日本人の精神生活、

特に

思想、道徳、教育を

改革・改造すべきでありまして、

これをやらなければ、

日本の将来は

長持ちどころか、

非常に危ういと思うのであります。

 この間も

ある友人が

私どもの大会に見えられて

『日本は

戦後、

大日本帝国

大と帝がなくなって

日本国になったが、

最近は

国までなくなって

日本列島になってしまった。

これでは

列島どころか

劣島である。

先生、

この劣島政治を

何とかできませんか』

と言って

大層気炎を上げておりましたが、

なるほど

言われてみれば

そのとおりであります。

 「天に口なし、人をして言わしむ」

というのは、

本当に

こういうことを言うのだと思います。

 これが見識の学・道の学というものであります。

−−−引用はここまでです−−−